【動画】新幹線殺傷事件の犯人と判決!事件の状況と経過の詳細

日本の事件

新幹線殺傷事件に関しての内容を動画にまとめています。

2018年6月9日午後9時45分頃、新横浜小田原間を走行中の東海道新幹線「のぞみ265号」の12号車でそれは起きた。

ある一人の若い男がおもむろに立ち上がると、隣に座っていた女性を隠し持っていた鉈で切り付けた。「キャー」「逃げろ!逃げろ!」突然の出来事に、同じ車両に乗っていた客はパニックに陥る。恐怖に震えた乗客たちは、すぐさま隣の車両へと走った。

そんな中、2つ後ろの席に座っていた一人の男性が立ち上がる。男性の名前は梅田さん(当時38歳)。梅田さんは、男に気付かれないよう、背後から近づくと、血の付いた鉈を持つ男に臆することなく飛び掛かり、押さえつけた。その隙に、切り付けられた女性は何とか別の車両へと避難した。しかし、一度は押さえつけたものの、男ともみ合っているうちに、梅田さんは転倒してしまう。制止を振り切った男は、何事もなかったかのように、恐怖で身動きが取れず、その場を離れることができずにいた女性にターゲットを変え、手にしていた鉈で切りかかった。

その様子を見た梅田さんはすぐに立ち上がり、果敢にも、再度男へと飛び掛かり、襲われていた女性を逃がすことに成功した。

辺りに乗客がいなくなったことに気付いた男は、今度は、自らの犯行を邪魔した梅田さんに殺意を向けた。体格の利を活かし、最初こそ、何とか応戦していた梅田さんだったが、躊躇いのない圧倒的な殺意の前に、徐々に防戦一方となり、ついには力尽きてしまう。男は動かなくなった梅田さんに馬乗りになると、執拗に何度も鉈で切り付けた。

騒ぎを聞き駆け付けた車掌が目にしたのは、大量の血を流しながら倒れている梅田さんと、馬乗りになり、何度も鉈を振り下ろす男の姿であった。車掌は、新幹線のシートやキャリーバッグを盾に男に近づくと、凶器を捨てるよう説得をした。

その後、新幹線が小田原駅に緊急停車すると、男は待機していた警察官に現行犯逮捕された。二人の女性を救い、果敢にも立ち向かった梅田さんは、搬送時、すでに心肺停止となっており、そのまま帰らぬ人となってしまう。

2019年11月28日、横浜地裁で男の初公判が行われた。上下スウェット姿で現れた男は、裁判長の質問に淡々と答えた。
裁判長「名前は?」
男「小島一郎です」
裁判長「住所不定無職となっていますが?」
男「事件の前、半年間はホームレスをしておりました」
裁判長「殺意はありましたか?」
男「はい、殺すつもりでやりました」
裁判長「被害女性については?」
男「殺そうとしましたが、残念にも殺し損ねました」
裁判長「亡くなった男性については?」
男「止めに入った人は、見事に殺し切りました」
裁判長「動機は?」
男「刑務所に入りたかった。自分で考えて生きるのが面倒くさかった。
他人が決めたルール内で生きる方が楽だと思い、無期懲役を狙った。」
「もし有期刑になってまた出所したら、人を殺すハメになるでしょう。」

同年12月18日、横浜地裁は求刑通り「無期懲役」を言い渡した。その際、小島は「控訴は致しません。万歳三唱します」と叫び、両手を高く上げ、万歳したという。翌2020年1月に、無期懲役が確定。皮肉にも、小島の望んだ結果となってしまった。

一体、どのような人生を歩めば、
ここまで歪んだ思想に至るのか、小島一郎の生い立ちをみていこう。

年の近い姉を持つ小島は、幼少期を愛知県一宮で過ごした。幼少期は天然キャラでのほほんとした性格だったというが、5歳の頃、児童保育所から「アスペルガー症候群」の疑いがあると指摘される。

「アスペルガー症候群とは、発達障がいの一つで、社会性・コミュニケーション・想像力・共感性・イメージすることの障がい、こだわりの強さ、感覚の過敏などを特徴とする、知能や言語の遅れがないものを指す。」

ところが、指摘を受けた母親は「そんなの大きくなれば治る」と突っぱね、特に病院に通わせるなどもせず放置していた。その後、中学に進学した小島は、やがて不登校になり、社会とのコミュニケーションを絶ってしまう。残された唯一の人格形成の場である家庭でも、徐々に疎まれるようになった小島は、ついには自室に籠るようになる。

そんなある日、後の凶行に繋がるような事件が起きる。

それは小島が中学2年になったばかりの頃。新学期が始まるからと、母親が姉と小島の二人に水筒を渡したという。姉が新品で、小島が貰い物だった。すると、その日の深夜、小島は障子を蹴破り、両親が寝ている寝室に怒鳴り込み、持っていた包丁と金槌を投げつけた。驚いた父親はすぐに小島を押さえつけ、警察へと通報。取り調べで小島は「お姉ちゃんとの格差に腹が立った」と答えた。この事件を機に、親子関係は悪化の一途を辿り、手に負えなくなった母親は、小島を施設へと預けることにした。実質的な育児放棄のような形で施設に預けられた小島はここから、破滅の道を進むことになる、かに思えたが、同じような境遇の人に出会えたことが功を奏したのか、5年にも及ぶ集団生活で、一度もトラブルを起こすことなく2015年に施設を卒業。在学中に取得した資格を活かし、機械修理会社に就職。同時に一人暮らしも始めた。

能力も高く、勤務態度も至って真面目だった小島だが、愛媛への転勤を機に会社を退社。原因は、転属先での上司や同僚からのいじめだった。退社後、地元愛知へと戻った小島は、またしても引き籠り生活を始めた。

その年の10月、小島は生まれて初めて家出する。

その後、家出しては保護されるを何度も繰り返したのち、専門病院へと入院することになった。ここで、小島は「自閉症」という診断を下される。2か月の入院生活を経て、退院した小島は、唯一懐いていた、母方の祖母と養子縁組を結び生活を共にすることに。しかし、そこでも小島は自室に引き籠り、ネットやパソコンゲームに没入していった。一方で「罪と罰」といった文学作品にも興味を示し、自ら小説や詩なども自作していた。

『人の世は住みにくい。人の世は住みにくかろうが、人でなしの世はなお住みにくかろう。人の世から住みにくさをとりのぞいたのが詩であり、画である。私の前途は死ぬか、宗教に入るか気狂いになるしかない。詩人的な実在は罪である。罪とは絶望である。絶望とは分裂である。』

2018年11月、小島は社会復帰を目指し、障害者支援施設で働き始めるも、ひと月もしないうちに「ホームレスになりたいから辞めたい」と言い残すと、二度と戻ってくることはなかった。

その年の暮れ、小島は宣言通り家出をし、ホームレス生活を始めて半年ほど経った6月9日、凶行へと走った・・・。

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