三島女子大生焼殺事件の犯人「服部純也」の凶行

日本の事件

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三島女子大生焼殺事件の犯人「服部純也」の凶行

2002年1月23日、深夜2時半頃、「人が燃えている」と警察署に110番通報が入った。現場は静岡県三島市の山中で、市道脇の道路工事現場だった。通報を受けた警察は、すぐに救急隊員と共に現場へと直行。駆け付けた警察官を待ち受けていたのは、さっきまで燃えていたであろう焼死体と、辺りを漂う灯油の匂いであった。

遺体の状況から、もがいて転げまわったことが伺え、生きたまま焼かれたことを示唆していた。両手と口にはガムテープが巻かれ、立ち会った警察官はあまりの犯行内容に驚きを隠せなかった。「これが人間のすることなのか・・・。」

捜査の結果、被害者は、上智短期大学に通うYさん(当時19歳)であることがすぐに判明した。前日、アルバイトにいったまま帰ってこない彼女を心配した両親が、三島署に相談していたのだ。指紋の照合で、辛うじて本人だと分かるほどに遺体は損傷していた。

自由を奪い、生きたまま火を放ち殺害。あまりにも残虐な犯行手口に、警察は当初、怨恨による犯行だと推測し、容疑者を洗い出していた。ところが、被害者のYさんは大人しい性格で、異性関係もなく、アルバイト先でも評判は良く、人から恨まれるような性格ではなかった。そのため、なかなか有力な情報が得られず、捜査は難航した。

ところが、ひょんなことから事件は急展開を迎える。

事件発覚から半年後、一人の男が突如、容疑者として浮上したのだ。その男の名前は「服部純也」(当時30歳)。服部は、ひき逃げ事件を起こし、懲役1年6か月の実刑判決を受け、すでに服役中であった。その際、採取された服部の唾液と、Yさんの遺体にわずかに残されていた、犯人のものと思われる体液のDNAが一致したのだ。言い逃れのできない証拠を突き付けられ、すぐに白状するかに思われたが、服部は、Yさんと会ったことは認めるも、殺害はしていないと、犯行は認めなかった。

「そんなはずはない。」捜査にあたった警察官は、服部が犯人であることを確信していた。なぜなら、服部はその地域一帯でも有名なゴミ人間で、幼少期より、悪事の限りを尽くし、周りに迷惑をかけて生きてきた、腐ったミカンのような男だったからである。

中学時代には窃盗で少年院へと入り、23歳の時には強盗致死事件を起こし、6年間服役した。Yさん殺害は、出所後わずか半年のことだった。

警察は、すぐに服部の犯行を裏付ける証拠を集めるため、多くの人員を割き、捜査へとあたった。しかし、事件当時、服部が乗っていたとみられる車は、証拠隠滅のため、すでに廃棄されており、捜査は難航した。それでも、警察は諦めず、犯行時に使われた灯油や、ガムテープなど、僅かな証拠をかき集め、徐々に服部を追い詰める。その結果、遂に服部はYさん殺害を認め、犯行を自供した。

1月22日、仕事を終えた服部は、三島市内の居酒屋で同僚と食事を取った後、午後10時過ぎに、車で自宅へと向かった。しかし、その途中で、会社に弁当箱を置き忘れたことに気付き、会社へと戻ることに。

その道中、アルバイトを終え、自転車で帰宅するYさんを目撃。車からYさんに声をかけナンパするも失敗。無視された腹いせか、車で先回りし待ち伏せした。狭い歩道を車で塞ぐように停車させた服部は、再度Yさんに「遊びに行こうよ」と声をかけるも、当然のように断られてしまう。その瞬間、服部はYさんの口を塞ぎ、頭を締め上げると、「静かにしろ」と脅した。

その後、Yさんを車に引きずり込み、人気のない場所まで連れていくと、その場でYさんに乱暴。「警察に言ったら、強姦されたことを言いふらすぞ」などと脅し、Yさんを連れまわした。一旦は解放することも考えたと供述しているが、警察への通報を恐れた服部は、Yさんを殺害することを決意する。

そのまま一時帰宅した服部は、玄関先に置いてある灯油が入ったポリタンクを見つける。この瞬間、「彼女を焼き殺して、身元不明にしてしまおう」という、悪魔のような発想が浮かんだ。

日付が23日に変わった深夜2時頃、人気のない工事現場に移動した服部は、Yさんの手と口をガムテープで縛り、地べたへと座らせた。この時、すでにYさんは恐怖のあまり、抵抗できなくなっていた。

持参した灯油をYさんにかけた服部は、ライターを片手に「火を付けちゃうぞ」などと脅し、Yさんの恐怖心を更に煽った。そして、彼女の髪に火を付け、全身に燃え広がるのを確認すると、そのまま車で逃走。一人現場に残されたYさんは、苦しさのあまりのたうち回った後、全身性の火傷により死亡した。もはや人間のすることではない。

2004年1月に開かれた裁判では、「犯行の発覚を恐れ、身元を不明にするために焼殺という方法を選んだ、異常残虐な犯行」と断罪するも、殺人の前科がないこと、犯行に計画性がないこと、更に幼少期に劣悪な環境で育ったことなどが考慮され、無期懲役の判決が下る。この判決を受け、検察側は「量刑が軽すぎる」としてすぐに控訴。一方で、弁護側も「量刑が重すぎる」として控訴した。

その際、本事件の控訴審を担当することに決まった、田尾裁判長は、こんなことを語っている。「被害者は『親に経済的な負担をかけまい』と、地元の居酒屋でアルバイトをしていた真面目な学生だった。そんな被害者がアルバイトの帰り道で、見ず知らずの男に車で拉致されて乱暴された挙句、山中の路上で体を縛られた状態で灯油をかけられて火を点けられて殺される。このように不条理でやりきれない事件であることを知り、『あまりにひどい』と思った。」「極刑を回避して無期懲役を選択したと聞いた時は、本当にこれでいいのだろうか、という違和感に近い疑問を感じた。」

2005年3月、東京高裁で開かれた控訴審において、田尾裁判長は「被告と同じ環境で育った兄妹に犯歴はない」と、生育環境への配慮を否定、「被害者をテープで縛り、灯油を浴びせるなど、計画的犯行に劣らぬ迅速な行動を取っている。被告の犯罪性向は、成育環境よりも、被告の生き方に由来するところが大きい」と述べ、一審の無期懲役を破棄し、極刑を言い渡した。すぐに弁護人が最高裁に上告するも、2008年2月、最高裁は上告を棄却。服部の極刑が確定した。

死刑確定後、服部は、囚人を対象としたアンケートでこんなことを語っている。

「何を言っても言い訳になるが、『人の命を奪う』という『人として最も重い罪』を犯してしまったからこそ、囚人となった自分は『命の尊さ・大切さ』、『被害者や遺族の苦しみ・悲しみ・怒り』を知ることができた。囚人こそ『誰よりも』命の大切さを知っている。」

反省の弁とも取れるような内容だが、決して勘違いしてはいけない。その後のアンケートで服部は、本心を口にしている。

「囚人は命の大切さをほかの誰よりも知っている。極刑は国家が殺人を犯すのと同じで、執行方法もかなり残酷だ。自分が犯した罪の重さは十分に分かっているし、毎日反省・悔悟をしているが、『いつ刑を執行されて死ぬかわからない』という気持ちは、囚人でなければわからないだろう。これは精神的拷問と同じだ。」

「自分が悪いのは十分わかっているが、執行だけはされたくない。『もし再び社会に出られたなら、一生犯罪を犯したり悪いことをしたりしない』という自信がある。執行の恐怖に比べれば、誘惑の多い一般社会に出て真面目に生きることなど簡単だ。」

何の罪もない人間の命を、残虐な方法で奪っているにも関わらず、自らの命は大切だと言う。最後の最後まで、身勝手な振る舞いを続けた服部は、2012年8月、執行によりこの世を去った。

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